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抱えきれない幸せ

  真夜中、いつものように、私は眠い目をこすりながら、5歳の娘の寝室をのぞいた。娘には持病があり、私は夜中、何度か彼女をチェックするのが、習慣になっ ている。
 すると、娘は眠りながら泣いていたので、ビックリしてベッドサイドに駆け寄り、「どうしたの?」と聞くと、娘は半分寝ながら、涙でいっぱいに濡れた瞳 で、「お母さんが、どっかに行っちゃう夢を見たの」と言う。  
 ほっぺたまで濡らした涙を拭いてやりながら「お母さんは、どこにも行かないよ」と言うと、「じゃ、一緒に抱っこして、寝て」とせがまれた。
 そうして、久しぶりに娘のベッドに入り、娘を抱いて一緒に寝ることになったのだけれど、もう彼女は、私の身長の4分3ほどの背丈で、とても、私には、 「抱えきれない」大きさ。  
 「・・・いつの間にか、こんなに大っきくなっちゃって・・・」と思いながら、この娘が赤ちゃん、それも生後間もないころ、夜中に寝なくて、自分の胸の上 に抱いたまま、眠ってしまったことを思い出した。  

 ーーー小さい、小さい命だった。私の胸の上に、ちょんと乗って、寝息を立てていた。強く抱きしめたら、壊れてしまいそうなほどの、幸せだった。それが、 もう、私には抱えきれない幸せになっている。  
 自分の幸せが、確実に「大きくなっている」のを、娘を抱きかかえようとする、自分の両腕から、感じた。  
 まだ、私の胸の中で泣きじゃくっている娘の頭をなでながら、「もっと、もっと、お母さんよりも大きくなってね。そして、幸せになってね」と、娘の将来を 祈りつつまどろみ、そして、娘の5年後、10年後に思いを馳せながらウトウトとすると、別室からは、赤ちゃんの泣きごえが聞こえてきた。5ヶ月になる、息 子だ。  
 こちらは、まだまだ私に「抱えられる幸せ」だけれど、この息子も、いつの間にか、抱えきれないほどに、大きくなるのでしょうね。  
 実際、ついこの間まで、私の胸に抱かれて寝るの大好きで、どんなにぐずっていても、胸の上に乗せ、私の鼓動を聞かせるようにすると、ス〜っと眠ったもの だけれど、生後4ヶ月で8キロという巨大ベイビィになってしまった息子を、私は今、もう、とてもじゃないけれど重すぎて、胸に乗せて眠るなんて、できな い。  
 それでも、私が腕に抱き、その目を覗き込み、微笑むと、いつも笑い返してくれる。「ママが、大好き!」と、そのクリクリの瞳で、私の心に伝えてくれる、 愛しい息子。今は、世界で一番、ママが好きでいてくれるのね・・・。  
 
 いつの日か、抱きかかえる私の腕の中から、巣立っていくでしょう、娘と、息子。そんな日が、待ち遠しいような、淋しいような、複雑な感じ。でも、この無 限大の可能性を秘めた、私の2つの幸せが、これからどう成長していくのか、楽しみでしかたがない。
  子供という、「人間」を育てることは、とても大変なこと。私の人生、築いてきたキャリアの中で、もっとも時間がかかり、難度が高いのが、 「子育て」だと思う。でも、もっとも見返りが大きいのも、「子育て」だと感じる。そして、一番、やりがいのある仕事に違いないと、信じている。

  結婚をしないこと、子供を持たないことを、選ぶ人もいるでしょう。また、望んでも、得られない人もいる・・・。
  私は欲張りだから、一人の人間としてのキャリアも欲しかったし、女性として、妻になり、母になり、家庭を築きたかった。幸いなことに、人生 を一緒に歩むパートナーに出会え、結婚をし、可愛い子供にも恵まれた。
  そうして、自分の人生で求めたものを手に入れた上で、思う。
  私のキャリアは、社会的地位と経済力を与えてくれたけれど、それは「抱えきれない、幸せ」に育っていかないと。
  私にとって、子供たちは、未知数の幸せ。手元で慈しむのは、限られた時間なのだから、大切に、大切に、この幸せを育てていきたいと、心がき しむほどに思っている。