back to Private essay


あね おとうと】

 もうすぐ(厳密には、2ヶ月後に)2歳になる息子のG。
 かなりママっ子の甘えん坊なのだけれど、最近は、例えば公園に行く時など、車を降りて、私が手をつなごうとすると、私の手をすり抜け、たたっと小走り で、すでに数歩前を歩いている姉のJの横に行き、姉の手を求め、一緒に歩こうとする。
 姉のJは、本音では、走って、出来る限り早く公園の遊具のところまで行って遊びたい、という気持ちを抑え、Gの気持ちを受け入れて、手をつなぎ、Gの歩 調に合わせて、ゆっくリと歩いて行く。

 そうして、姉と弟が手を取り合って歩く姿をうしろから見ながら、母である私は、微笑んでいます。
 なんとも可愛いのです。お姉ちゃんに手をつないでもらって歩く、息子の姿。
 いや、「息子の姿」と言うより、手をつないで一緒に歩く我が子二人の後ろ姿が、本当に微笑ましくて、可愛くて・・・。
 最近は、ちょっとはお姉ちゃんと一緒に遊んでもらえるようになったので、それまでは、ママを取り合うライバル的存在だった姉が、「遊んでくれて、一緒に いて楽しい存在」に、なってきているのでしょうか。
 手を延ばせば、当たり前のようにつなげる手があるというのは、なんて幸せなコトなんだろうと思いつつ、二人が仲良く手をつないで歩く姿を、数歩うしろか ら見守りながら、私は子供たちの遠い将来のことに、思いを馳せてしまいます。
 
 私と主人、この子たちの両親が亡くなったあとも、こうして二人で仲良く手を取って、生きて欲しいと・・・。

 自分たちの選択で、高齢になるまで子供を作らなかった私たち夫婦は、将来、どう考えても親戚がいる日本よりは、独りぼっちでも、育った国、ここアメリカ で人生を送るであろう娘が、可哀相だと思っていました。実際の娘の気持ちは、まだ今はわかりませんが、親として、先を考えると、不憫だったのです。なの で、もう一人子供が出来たら良いなぁ、くらいは思っていたのですが、なかなか二人目には恵まれず・・・。
 私自身は、10歳年下の妹が一人いるのですが、両親が他界した今、本当に、10歳離れていようと、妹を産んでくれて良かったと、亡き両親には感謝をして いるので、出来れば娘にも、妹か弟を産んであげたいと思っていたのです。
 そして、娘も3歳くらいになり、次々とお友達に妹や弟が出来はじめると、「Jも、妹か弟が欲しい!」と強く希望するようになり、そんな娘の思いを叶えて あげたくて、真剣に、もう一人、子供を作ろうと、医学の力を借りての努力を始めました。

 そしてJが4歳になる頃に、妊娠。
 でも、その時の妊娠は流産に終わり、数ヶ月間、私は、自分の人生で、もっとも凹み、落ち込み、悲しみに明け暮れる日々を送りました。それは、めったなこ とではめげない私が、毎日のように涙し、悲しみ沈んでいる姿に、日本にいる妹は本当に心配したと言うほどでした。今思い出しても、涙が溢れるほど、辛い思 い出です・・・。

 「弟か妹が出来るよ」と、大喜びの盛り上がりから一転、「もう、赤ちゃん、いなくなっちゃったの、ごめんね」と、あまりに私が泣く姿に、最初は、赤ちゃ んがいなくなったことに対して「なんでぇ〜?!」と、怒っていた娘が、ある日、私に言いました。
 「おかあさん、J、もう妹も弟もいらないから、もう泣かないで・・・」と。
 そうして、小さい手を私の首に回して、「だから、泣かないで」と、自分も泣きながら、抱きついてきたのです。

 そして私は、娘に妹も弟もいらないと言われてから初めて、フと、気がついたことがあったのです。
 私は、この娘のためだけに、妹か弟を作ってあげようとしていた、と。
 もちろん、もう一人子供が欲しいと思ったのは、将来娘が一人じゃ可哀相というところ、娘自身が、妹・弟を欲しがっていたことから始まったのですが、私自 身が、母としての純粋な気持ちで、子供を望んでいたかという部分に、突然「?」を見つけたのです。
 そして、娘のオモチャじゃあるまいし、欲しがるペットを与えるかのような気持ちで、一つの命をこの世に誕生させようなんて心構えじゃ、生まれてくる赤 ちゃんに不公平だ、そうじゃない、娘に妹か弟を与えるためじゃなくて、私自身が、もう一度母親として、子供を抱きたい、新しい生命を慈しみ、育てたい! と、子供を作ることに対しての、熱い想いというか、子供が欲しいという意欲が、沸々と湧いてきました。
 つまり、もう一度、もう一人、我が子を産みたいんだ、それは、娘のためではなく、私が、私自身が人間として、また一からの母業を経験するチャンスを与え られたい。
 娘が欲しがるからじゃない、私が欲しいんだ、私が、もう一人、子供を欲しい!・・・と。
 そう強く思った時に、Gが私の元に、やって来たのです。(Gの妊娠物語にも、涙無くしては語れないものがあるのですが、それはまた、いつか機会があれ ば・・・)

 そして私はまた、Gの「母」として、一からの母業を経験するチャンスを得ることが出来(これが、また、手のかかる子で、むちゃくちゃ大変ですがぁ〜)、 同時に、娘には弟を与えることができました。
 なにげなく道を歩いているときでも、JとGが仲良く並んで、手をつないで歩く姿に、つくづく、この子たちに恵まれたことに感謝をし、いつか、この子たち が両親を亡くしたとき、お互いに手をつなぎ、支え合いながら、たくましく、そして幸せな人生を送って欲しいなんて、ちょっと目を潤ませながら、思っている 私です。