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Baby Model Story
たからもの物語 [2] 初仕事・Baby GAP
3月下旬
3/27、Baby GAP のオーディションで、ハリウッドへ。午前10時から昼の12時までの間に行ってくれというので、ゆっくりめの昼ちょっと前に到着。会場には、Jと同じくらいの月齢の赤ちゃんがひしめいていた(^^;)
相変らず、夫婦二人揃ってきている人達、またはおばあちゃんらしき人と一緒に来ているママとか、熱心な保護者の姿が目立つ。オーディション会場のドアに、「Don't leave any pictures! (余分な写真を置いていかないで!) Call back is on Thursday.(call back は木曜日です)」の文字。「そっかぁ、普通(オーディション会場で)写される写真のほかに、きちんと写した写真、みんな持って来るんだ・・・。今日はいらなかったみたいだけど(私達は、持ってきてないし)。一つ、賢くなったわ。今度からは持ってくるようにしよう」と思う。そして、「call back(業界用語で、このときのオーディションに受かった場合の、次のオーディションのこと)」が木曜日・・・今日は月曜日だから、向こう2日以内に電話がなければ、だめってことかぁ・・と思った。
で、オーディションだけど、けっこう背の高いバーチェアみたいなのにJを座らせて、ポラロイド写真をパシャ・パシャッと2枚取られただけ。9か月児で、やっと安定して座れるようになったばかりの赤ちゃんを、背の高いバーチェアに座らせるのは怖くて、でも、Jの笑顔は欲しいしで、Jをちょこんと椅子に座らせ、電光石火の早業でJの前(カメラ横)に移動して、いないないばぁ〜でJの笑顔をゲットっ! うぅぅ〜〜ん、ママ業も大変だわ(笑)。
そして水曜日の午後・・・「今日、電話がなければ、(Baby GAP) だめだったのよねぇ(でも、もう水曜日の夕方だし、だめだったかな?)」なんて思っていたら、エージェンシーから電話! call back が来たっ! きゃぁ、うれしぃ〜(^o^)。吉報を夫に電話で連絡したあと、私は友人のキャスティング・ディレクターに電話を入れて、「ねぇ、call back があった時って、最初のオーディションと同じ服を着てくもん? それとも、違ったイメージの服で、バリエーションを見せたほうがいいのかしらん?」と、プロの立場からのアドバイスを求めた。で、彼女曰く、「普通 call back の時は、最初のオーディションと同じ服を着て来るよ。その服のイメージで、オーディション受かったんだから。」とのこと。なるほど。。。
そして木曜日、3月30日午前11:30の call back で、再びBaby GAP のオーディション。今回は、来ている人数が少ない(そりゃそうだ)。多くの赤ちゃんが、Baby GAP のロゴが入った服を来ている。帽子から、トレーナー、なんと靴&ソックスまでBaby GAP で揃えている赤ちゃんもいる。みんな、力が入ってるね。Jは、友人のアドバイスどおり、最初のオーディションと同じ格好。ピンク色のTシャツに、デニムのオーバーオール。この日のオーディションは、広いスタジオのフロアに、ちょこんとJを座らせ、たったの一枚、ポラロイドを写しただけ。「こんなもん?あれだけ?」と、気が抜けるほど、あっさり終わった。
そして翌日。エージェンシーから、電話があり。。。「J、仕事ゲットしたから、明日撮影ね」
わくわくして結果待ちだったBaby GAP の仕事、決まったのでしたぁ〜! きゃぁ(^0^)/~~
果たしてJは、エージェンシーに登録されて約2か月、5つめのオーディションで受かり、2000年4月1日、Baby GAP の2000年・秋の新作モデルの一人として、全米のBaby GAP の店舗内と外のショーウィンドーに飾られるポスター/パネルと、雑誌の広告用の撮影をすることになったのです。ひやぁ〜〜〜、初仕事(デビュー)が Baby GAP なんて、凄すぎる、嬉しすぎるわぁーーと思っても、Jには分からないのよねぇ(ナンとなく、溜息<笑)
翌4/1は、土曜日だったので、会社がお休みの夫と2人で、娘の初仕事に付いて行った。午前10時、カルバーシティ(家から約20分ほどの場所)のスタジオで、時給150ドル、生後9か月にしてJは、モデルデビューとなったのでした。
4月・初仕事「Baby GAP」
さて、2000年4月1日(なんと、エイプリルフール!)初仕事の日。「いよいよだねっ」って、わくわくでスタジオへ。
私も夫も、モデル経験があるので、撮影所の雰囲気には慣れている。だけど、私はそういう現場に行くのは久しぶりだったから、なんか懐かしいような気がしたし、これが娘の人生、初めての仕事場かと思うとむずがゆいような、不思議な気持が交錯した。
スタジオに入ると、まずスタジオ・ティチャーと呼ばれる、現場の「先生」を探して、自分達の到着を告げる。この人、ちゃんとカリフォルニア州の小学校の先生の免許とかを持ってる、本物の「先生」で、州の芸能界で働く児童労働法の定めで、こういった人が現場にはいなくてはならない。そして就学年令の子供が働く場合は、ちゃんと決められた時間、この人が勉強を教えることになっている。Jなどの赤ちゃんの場合は、もちろん勉強の義務はないけれど、何時からスタジオに入って、なん時間仕事をしたなどのチェック、その他もろもろ、現場スタッフとの間に入ってくれる存在。そして、労働許可証の裏には、なんの仕事をいつしたかという記録がこの「先生」によって書き込まれ、サインされ、きちんと労働法に基づいて仕事をした証明となる。
何時から撮影が始まっていたかは分からないけれど、先に来ている赤ちゃん達が数名。小綺麗な控え室には、マッフィンとかクロワッサンとか、色々と「朝ゴハン」用の食事が用意されている。Jは、しばらく待つとドレッシング・ルームに呼ばれ、いよいよ着替え。髪の毛のトップをゴムでとめて、お団子を作り、モスグリーンのリボンを頭回りにまかれ、ちゃんと「ヘア・メークさん」に飾ってもらう。衣装はモスグリーンのカーディガンと、フェイクレザーのスカート。渋いっ。
そして撮影だけど、親が見えると、親を求めて泣く赤ちゃんが多いという理由で、親は子供をスタジオのセットに「置きざり」にするように言われた。私としては、「ママが見えても、平気な子だけど」と思いつつ、言われたとおりにJをスタッフに託した。セットの間から覗き見たんだけど、Jはスタッフに囲まれ、あやされ、きゃっきゃと喜んでいる。うん、知らない人、好きだからね、ウチの娘(笑)。
撮影が終わって、帰れるかと思いきや、「待って」が入り、もう一着、着ることになった。今度は、ベージュのスエードのワンピースに、グレーの毛糸のポンチョ。そろそろ時間もお昼をすぎて、スタジオ内はライティングもあって、かなり暑い。「この格好じゃ、この子には暑すぎる・・」と心配したとおり、Jはご機嫌ナナメ。それに、もうお昼を食べる時間になってる。それなりに撮影は出来たけど、最後、べそをかいちゃいました(>。<)初仕事、10-12:40pm で終了、3時間分のギャラがでたので、Jはグロスで450ドルも稼いだのでした。びっくり(@@)
で、彼女の仕事が終わるころ、ちょうどケータリングがランチを運んできた。スタジオ・ティチャーの「食べて帰れば?」の言葉にすっかり甘えて、控え室でJにベビーフードを食べさせてから、私達夫婦は、フレンチ・レストランのケータリングのおいしぃ〜〜〜ランチ、いただいてから帰ってきました(^^)
スタジオで本番前の照明をチェックするために写す、テスト・ショット。ポラロイドで撮ります。
撮影が終わった翌日(日曜日)の夕方、スタジオから電話で、「明日(月曜日)も、来てくれる? 時間は8:30 am ね」との連絡。近所とは言え、朝の8:30コールは、辛い(^^;)普通、ウチの娘は10頃に起きる赤ちゃん。朝の8時半なんて、めったに起きる時間じゃない。でも、仕事は仕事。寝るときに、朝、着替えないでもいい格好で眠らせ、寝たままスタジオに連れていった。
スタジオに着いたら、ちょうどJが起きた。寝起きのいい子なので、もう回りに人がたくさん居るのを見て大喜び(^^)Jは、朝、一番のコールだったので、私はまだ誰も来ていない控え室で、一人用意された朝ゴハンを食べてた(笑)この日のJの衣装は、サイケデリックな模様のシャツに、フェイクレザーの黒いパンツ。撮影が終わっても、また「待ってて」と言われたけれど、Jは朝早く(9時前)とかに起きると、10時すぎには、朝のお昼寝をする。そろそろ、その時間。心配していたら、ちょうど10時になると「帰ってOK」が出たので、ほっ。この日は1時間半の仕事だったけど、2時間のギャラが出ました。帰り道、車に乗るなりJはグースーと、熟睡。良かったね、おねむの前に、お仕事終わって。
この日のテスト・ショット。
ステージママの仕事・ギャラに関して
さて、Jの初仕事が終わって帰宅した私には、ステージママとしての仕事がある。まず、エージェントには仕事をしたという証明書(プリント物の仕事の場合、voucher と呼ばれるもの)を送らなくてはならない。また、ギャラは小切手でもらえるのだけれど、それを「手渡し」か、「郵送」かも伝えなくてはいけない。
なんたって、初仕事だから、間違わないようにしなっくちゃっと、エージェンシーの会計部の担当者と話す。で、分かったことは、Jの小切手の名義は、本人でなくてはならないということ(私は、入金の時に楽だから、私の名義にしてくれないか、問い合わせたのだ)。だから、J名義の銀行口座を開かなくてはならない。また、エンターテイメント業界で働く子供達には、子供に稼がせて、そのお金を搾取する親から、子供の稼いだお金を守るための法律が作られており、この法(Coogan Law という)に基づいて、私達親は、稼いだ本人(子供)だけが18歳になったら引き下ろしが出きるという口座(Blocked account)を作らなくてはいけないという。そして、このBlocked account には、毎回ギャラが派生するたびに、エージェンシーの方から直接、支払い額(ギャラ)の15%が振り込まれるシステムになっているんだって。つまり、子供の稼ぎの15%は、絶対親の手に渡らないようになってるわけ。凄いぞ、ハリウッド(@@;)。
また、会計部の人いわく、業界で働く子供の親の75%くらいは、「良い親」で、子供のお金を大学資金にしたり、貯金したりで、本人のために使おうとするけれど(私達もそうよぉ〜。ミューチュラルファンドにするの<J名義口座で)、25%くらいは、子供の稼いだお金で家賃を払ったり、自分達の娯楽に使ったりする搾取派だそうだ。だから小切手のもらい方も、私は「郵送してください」ってお願いしたけれど、親によっては、一刻も早くギャラをもらって、そのお金を生活費にあてようとする人もいるらしい。何度も会計部の人に「14日の金曜日の午後2時は小切手が出ますから、事務所に取りに来ていただければ、すぐ渡せますよ」と、念をおされたもん。うーーん、「子供が可愛いから、モデル、させてみよぉ〜(^^)」なんて、軽い気持ちで入ったハリウッド・赤ちゃんモデルの世界、なかなか、現実の世界は、色々あるのねぇ。。。。エージェンシーと話してからは、銀行に連絡して、赤ちゃん口座の作り方を調べたり、Blocked account のことを調査したりで、けっこう大変でした。ホント、大変でした。。。(・・;)
4月7日正午、またディズニーのオーディションが入った。会場は前と同じ、バーバンクという(遠い)場所。この日は運悪く、午後2時にはUCLA で私の技術通訳の仕事が入っていた。
私の仕事の間は、夫にJの子守を頼んでいたのだけれど、Jのオーディションのことまでは予定に入っていなかった(だって、オーディションの連絡って、前日か当日にある=いつも、とっても急だから)。仕方がないので、オーディション会場にちょうどお昼前くらいに着いて、お昼15分すぎくらいに帰路について・・・1時頃に家に帰れれば、2時にUCLA (自宅から20ー30分)には、間に合うでしょう、という計算で、私はJを連れて会場に向かった。
ちょうどオーディションスタジオでは、何かダンス関係のオーディションが行われていたのか、若者がたくさん、レオタードで外の道にまで出て、本番前の練習なのか、踊っている。スタジオ内の廊下も、若者の熱気(実際、みんな汗だくだったし)で溢れ帰っていた。そこを、ベビーカーを押して「ちょっと、ゴメンなさいよぉ〜」と、Jのオーディション・ルームに入った。私達の前には、東洋人のお父さんと、白人のお母さんのハーフの双子の赤ちゃん達がいた。そして、しばらく待っていると、Baby GAP の仕事で一緒になった赤ちゃんとママがやってきた。「まぁ、また会ったわね(^^)」と、ママ同士、しばしお喋り。その赤ちゃん、Carson 君も、Jと同じエージェント所属と判明。そしてオーディションでは、Jはディズニー・キャラクターのかぶりもの、Piglet を着せられた。多分、ハロウィーン用の衣装だろう。「縁起がいい(?)受かりやすい?」と、勝手に思って、前の Baby GAP で受かったときの服を着せていたのだけれど、意味なかったね(笑)。その服は脱いで、コスチュームを着たら、顔だけ出した、ぬいぐるみ状態だもん<J。
いつもどおり、ポラロイド写真を2枚写されて、「もういいですか?終わり?帰っていい?」って、まだ「もう一着、着てもらおうか・・?」とか、プロダクションの人が迷っているのに、私は時間が気になって仕方がない。「じゃ、いいですよ」の返事を聞くやいなや、だーっと、スタジオを出て、大急ぎで帰ったんだけど、途中のフリーウェイが、半端じゃない混雑(T-T)。結局、ウチに帰り着いたのは、1時25分。お昼すぎに帰宅した夫には、前の晩に作っておいたカレーを温めておいてもらったので、そのカレーを「飲んで」、ビジネススーツに着替えて、私は10分で再び車に飛び乗って、通訳の仕事に出かけたのでした(汗)。
と、Jのオーディションと私の仕事がぶつかって、時間に追われて焦・汗モノの金曜日だったけれど、週明けの月曜日、エージェントから電話で、Jはディズニーの仕事、受かったのでした(^。^)。
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